受験勉強

大学受験って、みんな何考えてやってんだろうか。

 校内討で進路について討論したり、大学受験を高らかに謳う担任や教材を見てふと、疑問に思ったのでタイトルの通り、ひとり議論してみます。
 言ってる本人が、今まであまり疑問すら持たずに勉強していた訳ですが……もともとは、私大学に行くつもりはありませんでした。専門学校に行こうと思っていたのです。高2の夏までは、その方が企業に就職しやすいと思っていたのです。
 しかし、夏の三者懇談にて、大学を出た子のほうが後で伸びやすいって担任から聞いて母親からも大学には行って欲しいとの事で一応受験してみる事に(えらい気楽)。
 思い立ったが吉日、まずは資料請求、ネットや本での調査、などなど色々やってみました結果、ある程度の志望というのは決定してきました。
 でも志望とは希望的観測(笑)。実力に全く見合っていない学校を選んでいます。無謀としか言いようのない学校選びを何故してしまうのか、またそもそも何故みな異口同音付和雷同みたいに大学へ行けというのか?ちょこっと立ち止まってみました。
 最初、大学へ行きたいと思ったきっかけは、もちろん野心の為でした。
 有名大学や名門大学に行けば名誉や地位を勝ち取れると単純に思ったのでした(笑)。
 有名大に入ればいい(業績がいいだけという視点もあり)会社に就職できて、お金がたくさん貰える(ここは私にとって最重要事項でした。結婚したくないので、絶対的に自分で稼いだお金で一生を保障したかったのです)。という一般論……いささか世代が古い一般論になってしまいましたが、まだ保護者の間(ほとんどの子供は親の影響が多大なので、これを鵜呑みにしていると考えると相当な人がこう考えていることになります)では妄信的ともいえる強さで残っているようです……に乗っかろうと思ったのですね。
 この一般論とは別に、最近は大学に入るのが当然、という一般論もありますね。大学までが義務教育だという。
 この一般論はきっと対象が広いのでしょう……使えない人をなくそうという意味だと思いますが……そうですね、大学まで行かせりゃ、バカでもなんとか使えるようになるだろう、的なニュアンスが感じ取れますね。というより、マスコミに作られた高校生像……あれは真実なのでしょうか?少なくとも事実ではあるのでしょうが……に畏怖してとりあえず大学にブチこんどいて社会にあのまま出てこないように……って思ってるように思うんですが……大学は矯正機関ではありませんよね?研究している機関ですよね?少なくとも私にはそう思えるのですが。
 そう思ったところで、小説で描かれている大学の雰囲気というものに憧れを持って、行きたいなぁとも思い始めました。
 そして次は、研究……私の場合工学部志望なので、開発なのかもしれませんが……をしたいと思い始めたのです。
 お金、地位、名誉などの煩悩を横においといて、初心に返ったときに思い出したのが、小学生のころあんなに興奮した回路の基盤。抵抗、RED、コンデンサ、トランジスタ……。そんなものへの憧れでした。
 そして、動機の最後には、使命感と自己顕示欲
 私は何故か世界はいつ滅びるかわからない、それもけっこうすぐ崩壊するかもしれない、という危機感を持っています。SFの読みすぎだと思いますが(笑)。
 とにかく、そんなときに役立つのはきっと工学だ!思い込み、私がやらねば誰がやる。みたいなノリの使命感に駆られています。
 自己顕示欲の方は、これまた小説で読んだ「ウィザード(エキスパートのハッカー〔クラッカーではない〕に対して使う尊称らしいです)」に憧れていて、そんなレベルの技術者になって尊敬されたい!というなんともお粗末ですが、結構動機の割合をしめている目標もあります。
 ということでこれまた思い立ったが吉日、煩悩(お金と地位・名誉)と憧れ・目標(これも煩悩と言えなくもないけど)両立するため、「(私が行ける範囲内で)できるだけ偏差値が高い、がんばれば行けそうな、興味ある研究している、授業料が安い、割と有名な、関西・中部にある(ご飯が口に合わない、標準語が気に障る、遠いと家から通えないなどの個人的理由で関西・中部以外の地域の大学は興味なし)」大学を選んでみました。
 でも大部分が好みを占めているので、必ずしもこの限りではない事がほぼ普通のようにいえてしまいますが……
 こうして私の場合は大学を受けることにしたのでした。

 が、クラスのみんなは惑わされている気がしてなりません。先生の指導に。
 担任の先生がこの間黒板に、正社員とフリーターの一生の給料の差、みたいなのをグラフにして書かれたんですが、それはお金が最優先の場合、正社員をめざすべきだ、ということだけの意味であるはずが、あたかもフリーターは損な生き方、と定義してすりこんでいるように思えて仕方なかったのです。フリーターがいい、っていう人だっているし、そのひとは損をしているわけでもなんでもない、ということがみんなに伝わっていないような。
 職業が身分的になっている、という文章を現代文の教科書でやりましたが、学校が職業を身分的にしているのだといえると思うのですが……個人の価値観は均一ではないとか、もっとそういうことを教育しないといけないと思うのですけれど、それは不可能でしょうか。

 それに、何故私が専門学校をやめて大学を選んだのかは研究(開発)したい、ということでしたが、専門学校では研究ができないのか?というところは結構疑問です。
 バイオを研究できるような専門学校もありますし。でも、やはり大学と志向性はかなり違うでしょう。期間も短いですし、スキルを身につけるのが最優先、って感じなんだと私は判断したのです。それに、わたしではないですが、専門学校はいい意味でも悪い意味でも門戸が広い……割と簡単に入れる、という点が問題だという意見もありました。
 誰にでも可能性はあるわけですから、それを実現するために専門学校は入りやすいのでしょうが、(海外の大学だって入るのは簡単で出るのが難しいですし、そういう意味では大学や専門学校に入ってから何を成すのかが重要視されるべきなのであって、日本は大学へ入る、という本来で言えば過程であるべきものが目的となっているように思えます)それを逆さに解釈すれば、勉強する気がないひとだって入れるという事。スタンスが違うのでそのひとたちが疎ましくなったりすることもあるでしょう(事実、うちの学校は大学行くひと、就職するひと、専門学校行くひと、わりあいばらばらなのですが、それ故か勉強に対する姿勢にギャップがありすぎて、全員の為に授業をするべきであるとされる公立であるため、授業の質が悪いと感じてしまうことも多々あります……)。
 という事で、周囲に流されない人はまあどこへ行ってもさして問題ないかもしれませんけど、大学にしろ専門学校にしろいろんなひとがいる、というのは考えないといけない問題だと思います。
 あとは技術職……大工とか演劇とか歌舞伎とか伝統工芸とか経験がすべてのものなどはあてはまりませんね、この議論は……。

 そんなこんなで研究(開発)したいがため大学に行きたいといっていますが、大学へ言ったり専門学校へ行ったりするのは、定跡なのだと思うのですよね。
 スタンダードな定跡が大学へ行く、という選択肢で、攻撃型の定跡が専門学校……という認識を世間ではされている、と私は感じました。
 定跡を知らないと将棋なんてできません(私です・笑)。でも、定跡から先は、個人の指し回しです(すみません将棋とか囲碁とか好きだけど知らないので表現が変かもしれません)。
 なので、進路は目的により選別するべき、だと私は結論づけました(そんなん当たり前やん……結論になってない)。
 タイトルは私のような考えでないひとがいるという前提でやっているわけで、私はこういう風に考えてやっています、と提示してみたものの、相手がいないので議論になりゃーせん……どうでしょう、またいつか誰かと話してみたいですね、たぶん押し切られるけど。
 私にとってこの考えは正しいし、相手にとっては正しくないかもしれない……とか言ってみる。これは議論放棄なのでしょうか……「すべてがFになる/森博嗣著」、よりの引用ですが……
 ああ、思考がまとまっていません。きのうの影響でしょう。校内討論会みたいに割と真剣に誰かと話し合ってみたいものです。しゃべり場みたいなエゴとかのぶつけ合いみたいなんでなく……。しゃべり場ってのはあれ、自分の意見を他人に認めさせたい……というよりも、なんかけんか腰なので他人に意見を押し付けて、自分の考えで他人を支配したいって感じに見えてしまってあまり好きではありません。ごめんなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)